注、および参考文献一覧

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樺太ってどこにあるの?
樺太庁って何?

1. 「地方自治法」(昭和22年法律第67号)

2. 「樺太庁官制中改正」(昭和4年勅令第161号)。

3. 「樺太ニ施行スヘキ法令ニ関スル件」(明治40年法律第25号)。

4. 詳しくは、「明治四十年法律第二十五号廃止法律」(昭和18年 法律第85号)、「樺太内地行政一元化ニ伴フ樺太庁特別会計ト他ノ関渉ニ関スル法律」(昭和18年 法律第23号)などをご覧ください。

樺太の郡と市町村
山も、海も、空も

1. 例えば、玉貫光一『増補改訂 樺太博物誌』(国書刊行会、昭和52年)、112-113頁 の他、『日本地理大系第十巻 北海道・樺太篇』(改造社、昭和5年)などの一般書にも見られます。

2. La Tierraでは、ジュラヴレヴァ山(Gora-Zhuravleva)と保恵岳を同じ位置に表示しています。けれど、実際に、日本統治時代の地図とロシアの地図を比較してみると、両者を同一の山とは考えられません。そのため、ジュラヴレヴァ山の日本名を保恵岳とすることは避けました。今後も調査を続けたいと思います。

3. 大野東雲『樺太地誌 付・条約及び境界画定』(国書刊行会、昭和52年)、7頁 は、敷香岳を最高峰としながらも、高さは1,321メートルと、ロシアの地図に近い数値を掲げています。

4. 柳田誠・藤原治・後藤憲央・佐々木俊法「谷密度と起伏量による丘陵の定義」、『地学雑誌』113巻6号(2004年)。

5. 日本土木史編集委員会『日本土木史/昭和16年〜昭和40年』(土木学会、昭和48年)、99頁。

6. 鈴木康弘・堤浩之・渡辺満久・植木岳雪・奥村晃史・後藤秀昭・M.I.Strel'tsov・A.I.Kozhurin・R.Bulgakov・N.Terentief,A.I.Ivashchenko「サハリンの活断層の分布と概要」、『地学雑誌』109巻2号(2000年)。
この研究にあたって、ロシアの研究者にのみ、特別に一部地域の地図が公開を許可されたとのことです。

7. 日本土木史編集委員会『日本土木史/昭和16年〜昭和40年』(土木学会、昭和48年)、99頁。

8. 日本土木史編集委員会『日本土木史/大正元年〜昭和15年』(土木学会、昭和40年)、1,583-1,584頁。

9. 岡孝雄「サハリンの地形・地質概要と89年地質見学記」『地質資源調査所報告』62(1990年)。

10. 七山太・寺田剛・小俣雅志・紀藤典夫・A.Z.Zharov・石崎俊一「サハリン島南東部の付加テクトニクス --北海道-サハリン'中生界'の地帯構造概説 」『地質ニュース』478号(1994年)、22-24頁。

11. 玉貫光一『増補改訂 樺太博物誌』(国書刊行会、昭和52年)、117頁。

12. 「付加体」を現在の物、「付加コンプレックス」を過去にできた物、と区別して呼ぶ場合もあるようです。斎藤眞「日本のジュラ紀付加コンプレックス研究の進展」『地質ニュース』514号(1997年)、15-16頁。

13. ロシアの研究者も、東北山脈に多数の古海山が混入していることを報告しています。
S.V.ヴィソツキー・G.I.ガヴォロフ・I.V.ケムキン・V.I.サーピン「東サハリン山地におけるボニナイトオフィオライトコンプレックスの地質および岩石成因論的特徴」金賢善・加藤孝幸訳『知床博物館研究報告』27(2006年)。

14. サンゴ礁の島では、陸地からの土砂が流れ込まないため、できあがった石灰岩が均一な塊になります。これに対して、大陸の海岸では、陸地から運ばれる土砂が堆積するため、石灰岩に層ができるのです。
北上山地南部の石灰岩は、日本では珍しい、層状になった石灰岩で、オーストラリアとよく似たサンゴの化石を含んでいます。
斎藤靖二『日本列島の生い立ちを読む』(岩波書店、1992年)75-76頁。

15. 斎藤靖二『日本列島の生い立ちを読む』(岩波書店、1992年)127-128頁。

16. ジュラ紀カローヴ期後期から白亜紀バレム期頃の時期、おそらくジュラ紀末であろう、と考えられています。
榊原正幸・堀利栄・木村学・池田倫治・甲本智之・加藤宏海「北海道中軸部、白亜紀付加体から復元された空知海台の形成年代および岩石科学的性質」『地質学論集』52、1999年。

17. 木村学『プレート収束帯のテクトニクス学』(東京大学出版会、2002年)110-115頁

18. S.V.ヴィソツキー・G.I.ガヴォロフ・I.V.ケムキン・V.I.サーピン「東サハリン山地におけるボニナイトオフィオライトコンプレックスの地質および岩石成因論的特徴」金賢善・加藤孝幸訳『知床博物館研究報告』27(2006年)。

19. 合地信生・小俣雅志・A.Z.Zharov・寺田剛「サハリンにおける変成帯のテクトニクス」『地質ニュース』478号(1994年)。

20. 岡孝雄「サハリンの地形・地質概要と89年地質見学記」『地質資源調査所報告』62(1990年)。

21. 東洋一「ニッポノサウルス・サハリネンシス」『Dinosaurs恐竜博物館ニュース』第3巻 第3号(平成15年)。

22. 玉貫光一『増補改訂 樺太博物誌』(国書刊行会、昭和52年)、80頁。

23. 玉貫光一『増補改訂 樺太博物誌』(国書刊行会、昭和52年)、76-80頁。

24. 玉貫光一『増補改訂 樺太博物誌』(国書刊行会、昭和52年)、199-200頁。

25. 菊池滴翠 編『樺太歳時記』(国書刊行会、昭和59年)287頁。
短歌誌「ポトゾル」(「ポゾル」ではないのです)は昭和12年、山野井洋により創刊されました。

26. 朝日純一・神田正五・川田光政・小原洋一『サハリンの蝶』(北海道新聞社、1999年)折り込み地図。
さらに、大野東雲『樺太地誌』(国書刊行会、昭和52年復刻)、40頁。には、内淵、来知志、小能登呂、落合の名前が挙げられています。

27. 樺太に永久凍土が存在したという説もあります。
京都帝大の志方益三博士は、幌内川流域のツンドラで、7月〜8月に、地表から約43センチほどの深さで、平均53センチの厚さを持つ凍結層を確認した、としているそうです。玉貫光一『増補改訂 樺太博物誌』(国書刊行会、昭和52年)、197頁。
けれど、これを裏付ける資料は、他にありません。後出の国際永久凍土協会による地図でも、この「永久凍土」は示されておらず、信憑性の低い説と言わざるをえません……

28. 松岡憲知「アジアの山岳永久凍土と周氷河環境」、『地学雑誌』111巻4号(2002年)によれば、Gorbunov,A.P.1988.The alpine permafrost of the U.S.S.R.In Senneset,K. ed.:Procceedings of 5th International Conference on Permafront,1. Tapir Publishers,Trondheim,154-158.は、北緯50度、東経142度、高さ1000メートルの地点に永久凍土が存在するとしているそうです。
これは樺太山脈の逢見山付近にあたり、山岳永久凍土ならば樺太にも存在することになります。

29. ロシアの研究者には、ノグリキ付近には永久凍土があると言われているようです。小野有五・五十嵐八枝子「北海道の自然史 --氷期の森林を旅する」北海道大学図書刊行会、1991年、136ページ。
また、国際永久凍土協会(IPA)の北半球凍土地図('CIRCUM-ARCTIC MAP OF PERMAFROST AND GROUND-ICE CONDITIONS',1998)でも、北樺太には永久凍土が点在するとされています。

30. 小野有五・五十嵐八枝子「北海道の自然史 --氷期の森林を旅する」北海道大学図書刊行会、1991年、134-135ページ。
玉貫光一『増補改訂 樺太博物誌』(国書刊行会、昭和52年)、180頁。にも同様の記述があります。なお、このページからは、樺太のツンドラに対して、かなり突飛な意見もあった事がわかり、興味深いです。

31. 庄子貞雄「日本の土壌6 泥炭土」『アーバンクボタ』13(1976年)。

32. これは推測ではなく、実際に樺太のロシア人はツンドラと呼んでいたようです。玉貫光一『増補改訂 樺太博物誌』(国書刊行会、昭和52年)、181頁。大野東雲『樺太地誌』(国書刊行会、昭和52年復刻)、39頁。

33. 「キルク材に代る人造板発明 --厄介払いのツンドラから」『国民新聞』昭和6(1931)年4月14日。「キルク」とは、現在で言うコルクのことです。神戸大学附属図書館公式サイト内、「新聞記事文庫」で原文を閲覧することができます(記事のURLはこちら)

34. 「樺太の板紙業 --ツンドラ板紙の今後」『中外商業新報』明治45(1912)年6月7日。神戸大学附属図書館公式サイト内、「新聞記事文庫」で原文を閲覧することができます(記事のURLはこちら)

35. 玉貫光一『増補改訂 樺太博物誌』(国書刊行会、昭和52年)、196頁。

36. 玉貫光一『増補改訂 樺太博物誌』(国書刊行会、昭和52年)、195頁。

37. 玉貫光一『増補改訂 樺太博物誌』(国書刊行会、昭和52年)、198頁。

紀元2600年の日本地理

参考文献

朝日純一・神田正五・川田光政・小原洋一『サハリンの蝶 --The Butterflies of Sakhalin in Nature』北海道新聞社、1999年。

東洋一「ニッポノサウルス・サハリネンシス」『Dinosaurs 恐竜博物館ニュース』第3巻 第3号(平成15年)。

S.V.ヴィソツキー・G.I.ガヴォロフ・I.V.ケムキン・V.I.サーピン「東サハリン山地におけるボニナイトオフィオライトコンプレックスの地質および岩石成因論的特徴」金賢善・加藤孝幸訳『知床博物館研究報告』27(2006年)。

植田勇人・宮下純夫「北海道イドンナップ帯付加体中のオフィオライトからみた残存島弧の地殻構成と層序-フィリピン海残存島弧との比較」『地学雑誌』112巻5号(2003年)。

大野東雲『樺太地誌 付・条約及び境界画定』国書刊行会、昭和52年。

岡孝雄「サハリンの地形・地質概要と89年地質見学記」『地質資源調査所報告』62(1990年)。

小野有五・五十嵐八枝子「北海道の自然史 --氷期の森林を旅する」北海道大学図書刊行会、1991年

海後宗臣監修『日本近代教育史事典』平凡社、出版年記載なし。

木村学『プレート収束帯のテクトニクス学』東京大学出版会、2002年。

合地信生・小俣雅志・A.Z.Zharov・寺田剛「サハリンにおける変成帯のテクトニクス」『地質ニュース』478号(1994年)。

国史大辞典編集委員会『国史大辞典』吉川弘文館、昭和54-平成9。

斎藤靖二『日本列島の生い立ちを読む』岩波書店、1992年。

斎藤眞「日本のジュラ紀付加コンプレックス研究の進展」『地質ニュース』514号(1997年)。

榊原正幸・堀利栄・木村学・池田倫治・甲本智之・加藤宏海「北海道中軸部、白亜紀付加体から復元された空知海台の形成年代および岩石科学的性質」『地質学論集』52、1999年。

庄子貞雄「日本の土壌6 泥炭土」『アーバンクボタ』13(1976年)。

菅原繁蔵『樺太植物誌』第3巻 国書刊行会、出版年記載なし。

玉貫光一『増補改訂 樺太博物誌』国書刊行会、昭和52年。

地学団体研究会・新版地学事典編集委員会『新版地学事典』平凡社、1996。

内閣統計局『第五十九回 大日本帝国統計年鑑』原書房、1996年。

七山太・寺田剛・小俣雅志・紀藤典夫・A.Z.Zharov・石崎俊一「サハリン島南東部の付加テクトニクス --北海道-サハリン'中生界'の地帯構造概説 」『地質ニュース』478号(1994年)。

日本土木史編集委員会『日本土木史/大正元年〜昭和15年』土木学会、昭和40年。

日本土木史編集委員会『日本土木史/昭和16年〜昭和40年』土木学会、昭和48年。

登芳久『高速道路 --草創期の舗装の記録』技報堂出版、1993年。

松岡憲知「アジアの山岳永久凍土と周氷河環境」、『地学雑誌』111巻4号(2002年)。

文部省『日本の教育統計 明治〜昭和』昭和46年。

吉村信吉『湖沼学』三省堂、昭和12年。

Kerr,A.C. "Oceanic Plateau." The Crust: Vol.3, Treatise on Geochemistry. Ed. Rudnick,R.L. Elsevier, 2005.