このコンテンツをご覧になっている方の中には、「樺太に興味がある」「樺太に在住経験がある」あるいは「現在、樺太に居住している」といった理由から、樺太について(多分、私よりも!)良くご存じの方も多いのではないでしょうか。そのような方々は、樺太について、すでにさまざまなイメージをお持ちのことと思います。
けれど中には、「樺太」と言われても、どんな土地なのかピンとこない、とおっしゃる方も少なくないのではないでしょうか。そもそもどこにあるのか知らない、わからない、とおっしゃる方もいらっしゃると思います。
樺太が日本の統治から離れ、長い時間が過ぎてしまった現在では、無理もないことでしょう。
そこで、ここではまず、樺太とは何か? ということからご紹介してゆきたいと思います。
実は、「樺太」という名前には二つの意味があります。一つは島の名前、もう一つは日本の一地域の名前です。
島としての樺太、つまりカラフト島は、北海道の北にある細長い島です。「サガレン島」とか「サハリン島」とも呼ばれます。現在はサハリン島と呼ばれることが多いですね。地理的には、千島列島とともに、日本列島の最北端に位置しています。
島のほぼ真ん中である北緯50度の線が、日本とロシア(時代によってはソ連)との国境になっており、ここから南は日本の領土と定められていました。日本の領土であった地域を「南樺太」と呼ぶこともあります。
地域としての樺太は、南樺太と、その周囲にある小さな島々を合わせたものです。つまり、日本の領土である範囲ですね。ですから、この場合、カラフト島の北半分は「樺太」には含まれません。
わかりにくいですか? では、「アメリカ」という名前を思い出してみてください。
この名前にも二つの意味があります。一つはアメリカ大陸という陸地の名前、もう一つはアメリカ合衆国という国の名前です。そして、「アメリカ」という言葉が、どちらを指す場合もありますよね?
また、アメリカは「北アメリカ」と「南アメリカ」に分けられますけれど、南アメリカはアメリカ合衆国には含まれません。
「樺太」という名前についても、これと同じように考えれば、多少わかりやすくなるのではないでしょうか。
当コンテンツでご紹介しているのは、地域としての「樺太」、つまり、日本としての樺太です。
では次に、樺太がどこにあるかをご紹介したいと思います。
右の地図を見てください。
これは、東京を中心として描いた日本周辺の地図です。
ピンク色の部分は、昭和15年現在の日本の領土を示しています。
北海道の北、この地図では上の方にある赤い部分が樺太です。
北海道との間は宗谷海峡によって隔てられています。その距離は、「カシミール3D」を使って測定してみると、最も近いところで約40キロほどです。
稚内から沖合を眺めると、天候によっては樺太の島影を見ることができる、とのこと。
残念ながら、私は実際に見たことがありませんけれど…
このページをご覧の方には、稚内から樺太をご覧になった経験のある方もいらっしゃるかもしれませんね。
樺太の位置を、緯度、経度で表すと、次のようになります(各地名の読み方は、「樺太地名辞典」のページを、詳しい位置は「樺太地図帳」のページを、それぞれご覧ください)
ここまでご覧になって、随分北の方にある土地だなあ、というイメージを持たれた方が多いのではないでしょうか。シベリアやアラスカのような極北の地を連想した方もいらっしゃるかもしれませんね。
では、世界全体から見ると、樺太はどれほど北にあるのでしょうか?
樺太と同じ緯度にある世界各国の都市をあげてみます。
都市名 | (国名) | 北緯 |
---|---|---|
アスタナ | (カザフスタン) | 51.10 |
キエフ | (ウクライナ) | 50.25 |
プラハ | (チェコ) | 50.04 |
(国境) | 50.00 | |
ヴュルツブルク | (ドイツ) | 49.48 |
ルクセンブルク | (ルクセンブルク) | 49.37 |
バンクーバー | (カナダ) | 49.16 |
敷香 | (日本) | 49.14 |
パリ | (フランス) | 48.51 |
ウィーン | (オーストリー) | 48.13 |
ミュンヘン | (ドイツ) | 48.08 |
ルマン | (フランス) | 48.00 |
久春内 | (日本) | 48.00 |
ウランバートル | (モンゴル) | 47.55 |
シアトル | (アメリカ) | 47.36 |
ブダペスト | (ハンガリー) | 47.30 |
ファドーツ | (リヒテンシュタイン) | 47.08 |
キシニョフ | (モルドバ) | 47.01 |
豊原 | (日本) | 46.58 |
ベルン | (スイス) | 46.57 |
ケベック | (カナダ) | 46.49 |
大泊 | (日本) | 46.39 |
(西能登呂岬) | 45.54 | |
リヨン | (フランス) | 45.45 |
オタワ | (カナダ) | 45.42 |
緯度について、樺太の都市は日本統治時代の数値を、外国の都市はGAISMAの数値を、それぞれ使用しました。
どうでしょう、意外に南である事に驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか?(私は驚きました!)
アメリカ大陸ではカナダの南部、ヨーロッパではドイツの南部、フランスの中部、オーストリーやスイスに相当する位置です。ワインで有名なシャンパーニュ地方やブルゴーニュ地方、観光地として知られるロマンティック街道などは、すべて樺太と同じ緯度にあるのです。
もちろん、パリも。樺太にお住まいだった方ならば、「本斗節」などの一節をなつかしく思い出されるかもしれませんね。
ロンドンやベルリンやモスクワは、これよりも北にあります。シベリアの大部分やアラスカは、それよりもずっと北です。
樺太は、確かに北国です。けれど、決して「極北の地」ではありません。上の表からも、この事はお解りいただけるのではないでしょうか。
まず、長さから見てみましょう。
樺太島自体が南北に細長い島ですから、樺太も南北に長い地域です。南端の西能登呂岬から北端の国境までは、455.6キロにもなります。これは、東京から秋田または和歌山と同じくらいの距離にあたります。
なお、ロシア領である地域も含めた樺太島全体の長さは約1,040kmです。
周囲の長さは1,534.416キロで、これは直線にすると、東京から那覇までの距離を超えるほどになります。つまり、樺太を一周するのと、東京から那覇まで行くのとは、ほぼ同じ距離なのです。
次に、広さを見ると、36,090.30平方キロとなります。
これは関東平野の2倍を超え、北海道の約半分、九州より少し小さいくらいです。そして、現在の日本全体から見ると、約10分の1ほどにあたり、当時の日本全体では約19分の1にあたる広さでした。
意外に大きいですね。
また、樺太には当時、日本で一番広い市町村と、四番目と五番目に大きな湖がありました。
これらについては、「樺太の郡と市町村」と「樺太の地形と地質」のページをご覧ください
樺太の位置について特徴的な点として、外国の領土に接している、つまり、国境があるという点があげられると思います。
かつての日本には、陸上の国境が三か所あり、そこで二か国と領土を接していました。そのなかの一か所が樺太だったのです。
(他の国境については、「紀元2600年の日本地理」のページをご覧ください)
樺太での国境は、明治39年から40年にかけて、ポーツマス条約に基づく日露両国の共同作業によって確定されたものです。この国境は、ソ連政府がポーツマス条約の内容を認めた(大正14年の日ソ基本条約第二条)ため、引き続きソ連との国境にもなりました。
国境の位置は、東海岸の鳴海から西海岸の網干に至る31.7キロで、北緯50度、東経142度09分25から東経143度59分40の線です。
繰り返しになりますけれど、この数値は当時の測量によるもので、現在の世界測地系とは異なります。GPSを使って緯度を測定された方によれば、北緯50度からわずかにズレていたとのことです。
(実際に半田澤の境界標付近で緯度を測定されたというパクリ様のお話はこちらから拝見できます。)
国境線では、幅10メートルに渡って森林が切り開かれ、四か所に天測点境界標が、十七か所に中間境界標が、十九か所に木標が、それぞれ設置されました。なお、天測点境界標が設置されていた四か所は、鳴海、幌内川西岸、半田澤、安別です。
これらの天測点境界標の複製を、現在、明治神宮などで見ることができます。